アンブレラ・レイラ

連載小説 アンブレラ・レイラ 2

 リリオは木目調の勉強机の前に座り、蛸のように突き出した唇と鼻との間にボールペンを挟み、さらには腕まで組んで「うーん」と唸ってみた。
ようやく思い悩むことが様になってきた小学六年生の男児の悩みは“ここまでする必要性はあるのだろうか?”という大人びたものだ。
しばらく悩むと引き出しからまっさらなB5のノートを取り出し、その表紙にペンを走らせえる。ペンはスムーズに動き“アンブレラ”という足跡を残した。しかし“アンブレラ”の下に“レ”という文字を書いたところでペンはピタリと止まってしまう。
馬鹿らしくなってしまったのだ。
リリオはペンを放り投げて机に顔を突っ伏した。

 大多数の人が“アンブレラ”と聞いて連想するのはまず間違いなく傘だろう。連想も何もそのものずばり傘は英語でアンブレラなのだから。当然、まだ英語を習っていないリリオですらそれくらいのことは知っていた。
しかし、リリオにとっては違う。
“アンブレラ”と聞くとまず初めに連想する言葉は、
“レイラ”
なのだ。
リリオだけではない。リリオを含めたこの街の住人全てが“アンブレラ”と聞けば“レイラ”と連想してしまうのだ。
“アンブレラ・レイラ”そんな言葉はこの街の住人以外にはまったく聞き覚えのない言葉に違いないだろう。しかし、この街の住民は「当たり前田の」→「クラッカー」や「いいことあるぞ♪」→「ミスタードーナツ♪」等と同様に「アンブレラ」→「レイラ」なのである。
さらに、この街の住人の中でもリリオの住む“柊タワーハイツ”の住人に限ってはアンブレラ・レイラという耳馴染みのある言葉を聴く度に、耳が痛い思いをしなければならない。
 理由は柊タワーハイツの形状にある。柊タワーハイツは地上三十階建て、ワンフロアに十四部屋、空き部屋を加味しても三百世帯以上が入っている口ノ字型の筒状の細長い高層マンションで、その全方位に部屋があり、筒の中には緑地と同時にちょっとした公園としての意味合いを持った中庭がある中々の高級マンションだった。外観もこげ茶のレンガ造りと洒落ている。
そんなところに住んでいることをクラスメイトに羨ましがられるとリリオは毎度毎度、誇らしい気持ちなった。
しかし、どこかでこの街に柊タワーハイツが馴染んでいないとも感じていた。
都心から離れたこの街には高層マンションなど他にはないし、だからといって土地も余っていないので大きなショッピングモールのようなものもなく、この街は十二階にあるリリオの部屋からでも街の端まで一望できるくらいの低い建物ばかりの住宅街なのだ。
いつだかリリオは遠くからこの柊タワーハイツを見たときに小さい頃によくやった棒倒しの棒のように見えたのを覚えている。その砂山に無造作に突き刺された棒とダブったこのマンションはどこか寂しげでマヌケに見えた。つまり、街並みを基準にするならば、このマンションのほうが異質なのだ。
事実、柊タワーハイツは建設計画の段階で反対運動が起きていたという。プラカードを持った周辺住民が更地であったこの場所に居座ったなんて話をリリオは母親から何度か聞いたことがある。日照権だの、風通しだの、景観だのを散々突かれたとのことだ。
しかし、結局、違法性が全くないことから建設は押し切られ、この柊タワーハイツは予定通りに完成を迎えてしまった。建ってしまうと、さすがに取り壊せという人は少なく反対運動は序々に縮小していき、今現在においては皆無といってよいほどにまで落ち着いている。
ただし、当然、地域住民の不満自体が消えたわけではないので、この街の住人、特にこのマンションの近隣の住人の中には柊タワーハイツのことを疎ましく思っている人は今も少なくない。現に、リリオがマンションホールに入る前に、近くに住む主婦に「まったく洗濯物が乾きゃしないわ」なんてことを聞かされ、居心地が悪くなったことは一度や二度ではなかった。
そして、彼女……アンブレラ・レイラはその代表的な人物なのだった。

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です