小説紹介(裕次郎)

アンダーハーツより愛を込めて 立ち読み 4


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ネットショップにだいぶ前に自費で作成した小説を追加しました。

立ち読み1

立ち読み2

立ち読み3

立ち読み4回目です。

ふざけました。ごめんなさい。

立ち読み4

店長が帰りしばらくたった深夜二時。
うちの店はこの時間になると、まずお客さんは来ない。一人の日は本当に静かで、深夜一時頃に配送されてくる商品を陳列し一通りの掃除を終えると、お客さんの再度来始める朝の六時くらいまでやることが全くなくなる。
三年間で新しく入り辞めていった奴らが何人もいる。理由は全て“つまらないから”であった。それは相対的にかなり幸せな国における憂鬱の一つだと思う。例えばバイトも仕事も恋愛も自分自身を高めるため、もしくは自分自身の生を実感するための行為の一つになっているのだろう。安売りのアクセサリーのように肩書きや生きる意味を身につけ、やっと鏡で見られる姿になる。きっと全ては生きている実感を得るための行為なのだ。つまりそれは逆に言い返せば普通に生きているだけでは生きている実感がない、ということに他ならない。今の日本はある程度の生活は保障されていると言える。例えそれが有限のものであったとしてもオレみたいにダラダラとこんな風に惰性で生きても生きられる社会が“生きている実感”を奪うのだろう。確かに、ただ生きていくだけでは満足できないほど様々な刺激が巷には溢れている。魅惑的なものが山ほどある。上を見たらキリがない。
だけどオレはこれでいい。いや、これがいいのだ。生きているのだか死んでいるのだかわからないこの感覚がオレをなんとか生かしてくれている。もう苦しいだとか、悲しいだとか、辛いだとかはいらない。それに伴い、楽しいだとか、嬉しいだとかが極端に減少しても構わない。確かに孤独は辛く寂しい。時折不安になることもあるし、このままで良いのか? と毎日悩む。しかしダラダラと時だけが過ぎていく感覚の中でオレは生ぬるい孤独に抱かれていたい。いい年してこんなこと言いたくはないが、オレは生きること、それ自体を辛いと感じている。だけど、死ぬのが怖くて仕方がない。だからオレはこれがいいんだ。当然、鏡で自分の姿を見ることはできるはずもないが。
夜中の四時にも関わらず珍しく自動ドアが開き、来客を告げるベルがなった。
「いらっしゃいませー」
反射で言葉が出る。この三年の得たものだ。あと得たものといえばレジ打ちが早くなったことくらいかもしれない。
「ハチさん、すいませんでした!」
やってきたのはお客さんではなくバイトの龍之介だった。
龍之介は大学一年生。まだ18歳。オレが言うのもなんだが取り立ててダメなところも人より秀でたところもない茶髪が似合う普通の青年だ。
「それよりお母さん大丈夫なの?」
龍之介はほんの少しだけ間を空けて「もう心配ないっす」と笑顔で答えた。
その目の下は腫れていて今まで泣いていただろう、ということが容易に想像できた。しかしその事実だけでは良いことが起きたのか、それともその逆なのか、の判断は出来ない。だからといってそれ以上聞くことも出来ず、龍之介がパイナップルマートの制服を着てオレの横に並んでからは、いつものように誰それが可愛いだの内容のない話をしながら過ごした。
店内を流れる流行歌はどんなに素晴しいものだとしても、これだけ聞けばさすがに飽きる。
慣れってのは感動を奪うのだろう。

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