たとえば君が人を喰らう化け物であっても

予告 2

寒い夜でした。
仕事で遅くなったA子さんは近道である暗い公園を通ることにしました。
『ぐちゅぐちゅ』
公園の中ほどまで進んだとき、妙な物音が聞こえました。
足を止めて物音の方向に目を向けたのですが、暗くて何も見えません。
気のせいかしら、とA子さんは、さらに先へと進みました。
『くっちゃくっちゃ』
どうやら気のせいではないようです。
音の方向を注視すると、汁粉の白玉のような、不鮮明な白い影を見つけました。
よせば良いのにA子さんは、さらに三歩ほど足を進めて目を凝らしてみました。心臓がいつもの何倍もの速さで音を立てていました。
『ちゅっぱちゅっぱ』
鼓膜に湿った音が絡みついていましたが、その姿を確認するとA子さんはほっと胸を撫で下ろしました。不鮮明な白玉は、白いワンピースを着た女性の後ろ姿だったのです。
とても髪の長い女性でした。
『ぐじゅるぐじゅる』
気分でも悪いのかとA子さんは女性に声を掛けました。
しかし、女性は返事をせずにただ肩を震わしているばかりです。
A子さんはもう一度声を掛けました。
それが失敗でした。
しゃがみ込んでいた女性が振り返りA子さんの顔を見上げました。
その瞬間、A子さんは思わず息を呑みました。
女性の口の周りにべっとりと真っ赤な血が付いていたのです。
しかし、すぐに冷静になったA子さんは、吐血していたのだ、と察すると、緊急性の高い事態だと判断し、女性の背中を擦ろうとしゃがみ込みました。
しかしどうでしょう。女性の反応が思ったものと違うのです。なんと真っ赤な口元には笑みが浮かんでいるではありませんか。終いには、笑みは次第に大きくなっていき仕舞いには声を上げて笑う始末。
ふと女性の足元が視界に入りました。
その一瞬後、公園内にA子さんの悲鳴が響き渡りました。
なんと、女性の足元には血まみれの人間が横たわっていたのです。
目を背けたい思いとは裏腹にA子さんはその“死体”を観察してしまいます。観察すると自分がそれを“死体”であると瞬時に判断した理由がおのずと理解できました。
右足、左腕、顎、胸部、ところどころが欠損しているのです。
「――だって足りないから」
言葉の意味はわからずとも、A子さんの頭の中には危険信号が点り、警報が鳴り響きました。
A子さんは慌てて立ち上がるとその場から走り出しました。
しんと静まり返った夜の闇の中をカツカツとヒールの音が鳴り響きます。走りながらA子さんは後ろを振り返えってみました。すると、その口の周りを血塗れにした女性が長い髪を振り乱して走って追ってきていました。しかも、その女性はA子さんよりも随分と足が速いようで、追いつかれてしまうのは明白でした。
出口まで走るよりも、柵を乗り越え、住宅街に抜け、助けを呼ぼうと考えたA子さんは勢いをつけ、急旋回し、植木を踏み倒しながら、柵へと向かいます。
それが功を奏したようで、追ってくる女性が前のめりに倒れました。
しかし、A子さんは胸をなでおろすことはできませんでした。なぜなら女性は前のめりに倒れたのではなく、前足を地面に着けたに過ぎなかったからです。なんと、女性は足だけではなくその両手でも地面を蹴り、さも四ツ足の動物かのように長い髪を振り乱しながら追ってきたのでした。
A子さんは柵に手をかけたところで捕まってしまい、柵から引き剥がされてしましました。その拍子に後頭部をしこたま地面に打ち付けてしまいまい、打ちどころが悪かったのか、体が一切、言うことを聞かなくなってしまいました。
女性が圧し掛かってきました。
大声で叫びたい衝動に駆られども声を発することすらできません。10センチ前に迫る血塗れの口が開くと、そこから真っ赤な血が自分の顔に滴り落ちてきます。
A子さんは恐怖に体を震わすことすらできません。
生臭い息と共に女性は言いました。
「……羨ましい」
A子さんには何のことだかさっぱりわかりません。それでも女性は続けます。
「あなたはいいわね? だって全部あるんですもん。羨ましい……羨ましい……羨ましい」
すると女性が上半身を起こしました。
これで解放されるのか? とA子さんの中にかすかな希望が湧いてきました。
しかし、そこから女性がとった行動もまた何がなんだかわかりませんでした。女性は自分の着ている白いワンピースの裾をすーっと捲ったのです。A子さんはただただそれを見ることしかできません。
すぐに異常に気が付きました。全身にざわざわと鳥肌が立ちました。女性の露わになる肌の面積が多くなるほど、A子さんの全身に走る鳥肌が大きくなっていきます。まるで、そこから凍り付いていくようでした。
なんと、ワンピースを捲った女性のお腹には、ぽっかりと大きな穴が開いていたのです。ポタポタと血が滴っているその穴はまん丸で、向こう側の月明かりがはっきりと見えました。
A子さんはまるで“食いかけの食べ物”のようだと思いました。
そして、A子さんは喰われてしまいしました。綺麗さっぱりと。

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