藤木の国のアリス~伽炉瑠博士の忘却装置~

藤木の国のアリス ~伽炉瑠博士の忘却装置~ 5

「電話、和也君じゃなかったの?」
泰葉はなんともない口調で訪ねてくる。惚けているようにも見えない。
「ううん、お母さんだったよ。へへ」
声とは裏腹に笑顔にはなれなかった。
そのときは、自分の予想よりも早く訪れてしまったのだ。
「……もう限界」組子は呟いた。
二時間目の後から急に泰葉と仲直りしていることに戸惑い、流されるままこんな状況に陥ってしまっていたが、いつまで経ってもこの異変の正体がわからない。それ故に顔色をうかがい、言葉を選び、愛想笑いを繰り返しながら、泰葉の目的を探ったが、暖簾に腕押しとでも言うべきか何の手応えもなかった。
これ以上こんな状況に耐えられる自信はなかった。それに、たとえば今、この状況をなんとかやり過ごせたとしても、この気持ちが休まる保障はない。いや、休まるどころか家で一人思い悩み、ますます不安定になる一方だろう。泰葉の異変の理由がわかるその日まで「明日はどうなるのか?」と怯え続けなればならないのだ――嫌、そんなの嫌よ。組子は頭の中で食い気味で拒否する。
“待って。もしかしたら、それこそが泰葉の理由なのではないか?”
ふと、そんな言葉が体の内から湧いてきた。もしかしたら泰葉は遠まわしに攻撃をすることにしたのかもしれない……それをすぐに否定したのも自分だった。
泰葉はそんな子じゃないはずだ。自分よりも綺麗で、単純で、真っ直ぐで、ちょっと抜けていて、何より優しいのが泰葉なのだ。だからこそ、この半年間苦しんでいたのだ。大好きな泰葉を裏切ってしまったことに何度も身を裂かれるような思いをしていたのだ。
「どうしたの?」
黙り込んでいる組子を気にかけて、少し先で泰葉が振り向いた。この期に及んで整った顔立ちに嫉妬しそうになってしまう。その顔から悪意は読み取れない。
直接聞いてしまうより他に方法はないのかもしれない。
その正体が先ほど思いついた“遠まわしの攻撃”だとしても今のこのわけの分からない状況に比べたら随分とマシなような気がした。納得のいく答えを想像することすら出来ないのだから。
「泰葉、あのさ……」
次の言葉がどうしても出てこなかった。しかし、このままでいることのほうがずっと苦しい。それでも、いざ聞こうとすると勇気が湧いてこない。でも言葉が出ない……数秒の間に何度も逆説を繋いでいった結果、最後はこう思った。
“このまま家に帰るのは絶対に嫌”
組子は乾いた雑巾を絞って水滴を搾り出すかのように声を発した。
「……私と和也のことを、今はどう思っているの?」
視界には泰葉の足だけが映っている。さすがに顔を見てこんなことを言えなかった。
返事は返ってこない。やはり先ほどまでの泰葉の態度は遠回し攻撃を仕掛けているつもりだったのだろうか? となると顔を上げると鬼の形相の泰葉がそこにいるのだろう。できれば顔を上げたくない。こんなこと聞かなければよかった、この遠まわしの攻撃に耐える方法を選べばよかった。先ほどと考え方が180度変わってしまっていた。
「どうって……別に上手くいけばいいなぁって思っているよ?」
声の調子からは先ほどと同様、敵意や悪意の類は感じられなかった。
おそるおそる顔を上げる。泰葉はきょとんと、顔に“どうしてそんなことを聞くのだろう?”という疑問がサインペンで書いてあるかのようだった。
「じゃあ、もう怒っていないの?」
「なんで私が怒るの? 怒る必要ないじゃないの」
意地悪な目で見ても、嫌味を言っているような顔ではなかった。もしかしたらこれは夢なのだろうか?
「それともなあに? 組子は何か私が怒るようなことでもしたの?」