弱虫時計と君だけの神様 ☆立ち読み③☆

君だけの神様・1

薄暗い部屋に首のない紫色の背中の群れ。

遠藤泰夫が手繰り寄せることのできる最古の記憶は自分の家のものではなかった。

三十畳はあるだろうという、だだっ広い畳の部屋。真新しい畳ではないので、特有の爽快な香りは一切存在せず、鼻につく線香のような香りが煙を帯びて漂っているだけだ。

そこにびっしり詰まった大人の背中。大人たちは皆、同様に仕立てられた紫色のシャツを身に着けていた。彼らが一様に下を向き、手を合わせ拝んでいたため、一番後ろに座る泰夫からは首のない紫色の背中の群れに見えたのだ。

自分の体を確認すると、泰夫もまた一回り小さい同じものを着ていた。さらに耳には聞こえるか聞こえないかの音量の重低音がねっとりと絡み付いて、紫色の首のない背中とそれとが混ざり合い、最古の記憶は酷く不愉快で、最高に居心地の悪いものだった。

畳の先は一段高い板の間になっていて、おんぼろの壁を隠すためか奥の壁には厚手のふわふわした白いカーテンが掛かっている。

そこにこちらを向いて背筋を伸ばした中肉中背の男が胡坐をかいて座っていた。目玉だけをギョロギョロと動かし、首のない群れを観察している。男もまた麻でできた紫色のシャツとズボンを身につけていた。顔は満員電車内で探せば似た人間が一両に五、六人はいそうな、取り立てて特徴のない顔。しかし、首のない背中共の拝みは彼に対してのものなのだろうということはわかった。

泰夫だけが拝んでいなかったので、その男と目が合ってしまった。暫く目があうと、目を合わせた男が口の中で舌打ちをしたのがわかった。隣からドンッと肘うちをされる。見るとそれは泰夫の母親の仕業だった。母親は肘を打ちつけたのにも関わらず、こちらを一切見ずにやはり彼を拝み続けていた。
泰夫は“ああ、自分も同じようにしなければならないのだろうな”と思った。なぜ? とは一切考えなかった。ただ“自分も同じようにしなければならないのだろうな”ということだけはわかった。見よう見まねで泰夫も拝むフリをした。腹が減ったな、と思っていた。

板の間の男は泰夫が拝んだのを確認すると抑揚のない声で話し始めた。

「……過去は全て許そう。今、この瞬間、お前の罪は消え去った。今、この瞬間、私のこの声によりお前の過去の全ての罪が消え去った。お前の犯した罪は私が代わりに受け止めよう」

腹が減っているだけでなく、頭に物理的な重さを感じるほどの眠気もあった。ただ、眠くても寝てはならないのだろうということはわかっていた。皆がそうしているからだ。

「我が子よ。いまやお前の中には一変の穢れも存在しえない。これからは精進し、穢れなき魂でいなさい。穢れなき思想でいなさい。穢れなき身体でいなさい。心配はいらない。私が導こう!」

抑揚のなかった声が急にトーンアップする。眠気覚ましにはちょうどいいかもしれないと少し嬉しく思った。

「さすれば死してもなお、その魂、思想、身体は生き続けるだろう! そして、我が導きどおり、再会の実、食せれば、その魂は! その思想は! その身体は! 復活することができるだろう! 疑うな! 信じるのだ! さすれば、朽ちることなく、病むことなく、永遠の安息がお前を包み、放すことはないだろう!」

板の間の男は目を見開き、声を荒げる。すると、部屋のあちこちからすすり泣くような声が聞こえてきた。

一拍おいて男は優しく「さあ、顔をあげてごらんなさい」と微笑んだ。

その声で紫色の背中にニョキニョキと首が生えてきた。ああ、自分もそうしなければならないのだな、と察し顔を上げた。

板の間の男はにこりと微笑んでいた。その笑顔はアスファルトにこびりついたチューインガムのように、べっとりと張り付けているように感じた。

「あなたたちにはもう何の罪もありません」

その声には慈愛が張り付いていた。

すすり泣く声は大きさを増し、まるで大合唱に様変わりしていた。

「大丈夫。私があなたたちを救います。必ず生まれ変わることができます。生まれ変わったあなたたちにはカルマなどないのです」

そう言うと男は胡坐をかいたまま、スーッと浮き上がった。泣き声の大合唱は歓声に変わった。白崎様、白崎様、白崎業行様、それが彼の名前なのだと初めて知った。

男は宙に浮いたまま両手をかざす。すると、そこから光の線が現れた。歓声は最高潮に達した。感動の涙に濡れた「白崎様」という声が古い家屋に割れんばかりに響き渡る。

泰夫にはその感性が五月蠅い蛙の合唱のようにしか聞こえず、相変わらず“お腹が空いたな”と思っていた。なにしろ、この屋敷に来てから泰夫は五日もろくな食事を取っていないのだ。ふと母親を見ると、彼女も「白崎様、私を許してくれてありがとうございます」と泣いていた。その表情を見ると一瞬悲しい気持ちになったが、すぐに母親もゲロゲロ言っている蛙に見えてきて、と嫌悪感に変わった。
皆、腹が減って、眠いくらいで、どうしてこんなことになってしまうのだろう?

泰夫、最古の疑問だった。白崎と名乗る男の後ろのふわふわのカーテンの隙間から飛び出るフォークリフトの先のような鉄の板に何の疑問も持たないのだろうか? 光線が手の平でなく、後ろのカーテンの穴から放たれているのがわからないのだろうか? そして、そんなことをする奴が本当のことを言っていると思うのだろうか? ましてや救ってくれると本気で信じているのだろうか? しかし、泰夫は、ああ、自分も同じようにしなければいけないのだろう、と「しらさきさま」と大声で泣いてみた。
暫くすると、カーテンの奥から数人のこれまた紫色の服を身に纏った男女が現れ、泣き崩れる皆に豪華な食事を持ってきた。いや、実際は決して豪華ではない。しかし、五日間の空腹のせいで、ただ単に十分な量である、というだけでそう見えたのだ。

なぜか、皆は彼らにも手を合わせていた。確かに泰夫から見ても不思議なことに食事を運んできた男女のほうが、もらっている誰よりも偉い存在に見えた。しかし、それが作為的なものだということにも気付いた。五歳の泰夫は、今ここに上下関係を成立させることを目的としてこの五日間の全てがあったのだということを、環境、状況、周りの人間の表情等から導き出したのだ。それでも泰夫も皆と同じように手を合わせ、泣いてお礼を言って食べた。正直、たいして美味くなかった。

この一連が遠藤泰夫、最古の記憶だ。

そして、泰夫には五歳にして人生の指針となる言葉ができていた。何かに躓いたり、迷ったりしたときにはいつでもその言葉を思い出し、実践した。

“自分も同じようにしなければならない”

指針となる言葉は最古の記憶内のそれだった。それは魔法のような言葉で、泰夫がまだ子供だったことも少なからず関係したのは確かではあるが、その魔法を頭の中で唱え、実践すると、不思議なほどスムーズにどんな困難な状況も乗り切ることが出来た。特に、泰夫が少年時代から青年期を過ごした特殊な環境ではその魔法の言葉の効果は顕著に現れた。たとえば多数の誰かたちが、個人を褒め称えているときは、同じようにそうすると聡明な子だね、なんて褒められた。たとえば、多数の誰かたちが一方的に誰かを攻撃しているときに同じようにすると、この子はすでに仲間だ、なんて抱きしめられた。

泰夫が五歳のときに母親に連れられてきた最古の記憶の場所は東京都の本州唯一の村である桧原村にある「復活の光」と名乗る団体が管理する大きな一軒屋だった。その周囲にはまた大きな家々があり小さな集落になっている。その集落全てが復活の光の管理する物件で、そこに住むものはそこを“復活の光・東京支部”と呼んでいた。

復活の光とは、泰夫が五歳の当時には、まだ正式に宗教法人となってはいないものの、代表の白崎業行を神として崇める明らかに宗教色の強い団体であった。本部は山梨にあり、そして埼玉県北部、東京都桧原村と合計三つの集落を作り、管理、運営していた。どの集落でも、その敷地内に住むものは皆、皆紫色の服に身を包み、農業をしながら家畜を飼い、魚を釣り、小さな規模ながら出来る限り自給自足で生活していた。もちろん大規模な集落ではないので、生活の全てをその中で行えるわけではなく、必要最低限の電化製品や、食材などは買出しをし、そのお金や数少ない子供らが学校に通うための出費は復活の光本部からの仕送りで賄っていた。もちろん、それはそこで暮らすものたちのそれ以前の財産ではあるが。

東京支部もその例外ではなく、出来うる限り、自給自足で生活を営んでいた。これだけを聞けば、復活の光は全うな宗教団体と思える。しかし、世間は彼らを嘲笑のそして少々の恐怖の対象として捉えていた。復活の光がそういった奇異な目で見られた最たる点はその得意な格好でも、ましてやライフスタイルでもなかった。

それは入るための資格だ。

復活の光のホームページを開くと、トップページにこう書かれている。

「あなたは今現在死にたいですか? Yes or no」

そしてYesをクリックすると次はこう表記されるページに飛ばされる。

「しかし、それでも死にきれないですか? Yes or no」

そこで再度Yesをクリックすると、ようやくその概要が知れるページに辿り着くのだ。恐らく他の宗教団体ではこういった明らかな不の要素での勧誘は行われていないだろう。意味は同じでも「あなたは幸せになりたいですか?」といったようなニュアンスのものがほとんどのはずだ。しかし、復活の光は違った。“死にたいもの”であり、そして“死にきれないもの”でなければならないのだ。代表の白崎業行がなぜそういった理由で、そういった者たちを集めたのかはこの後、起こった大きな事件を経ても解明できなかったが、彼はともかくその理由で信者を募った。

例にもれず泰夫の母親も、死にたくても死にきれず桧原村へやってきた一人であった。

理由は泰夫の父親の浮気の果ての心中。

夫の愛人との心中がきっかけで泰夫と共に死のうと決意したが、橋の欄干に手をかけたときに“夫とその愛人と同じところにいくことになってしまう”と気づいたのだ。そして、死後の世界があると仮定するならば、夫は遺書どおり死後の世界で愛人と仲睦ましく生活しているはずだった。そこでも泰夫の母親は親一人子一人で生活しなければならない。つまり、死にたくても死にきれなかったのだ。

泰夫は五歳にして死にたくても死にきれない母親のその原因との子供として、死にたくても死にきれないものたちと共同生活を送ることとなった。集落の中の住人の数は決して多くはなかったが、入れ替わり立ち代りで常に五十人以上で暮らしていた。子供は泰夫を含め、数人しかいなかったため、そこの大人は皆、泰夫に対し優しかった。取れた野菜や、釣った魚を皆で調理しながら暮らしていくのも悪くなかった。なにより、母親のヒステリーが少しずつ治まっていったのが嬉しかった。さらに、母親に対しても周りの皆と同じように接すれば不思議なくらいその関係は良好なものになった。

幼稚園には通わなかったが、義務教育は受けなければならない。桧原村の小学校と中学校は同じ敷地内にあったので、東京支部の管理する唯一の自動車で集落の子供皆で通った。学校では授業中以外は教団の子供らで集まるか、一人で図書室に篭った。たくさんの本を読んだが、泰夫が一番多く手に取った本は辞書だった。一行読むたびに自分の脳みそにしわが増えていく感覚が気に入っていた。他の行為と比べて、というだけではあったが。

学校から帰ると、復活の光の教えを学んだ。それはチベットの神様の話を、コピー用紙をホッチキスで止めた簡易な教科書を用いて学ぶものだったり、明らかに手書きのものをコピーしただけのものを“真理”という教科として学ぶものであったりした。そして、手書きのものの大半は死んだらいけないだとか、そういった道徳的なものではなく、どうしたら一度死んで、まっさらな状態で復活できるか、といったおよそ常識とは思えないような話が図解で載っていた。中には座禅を組んだり、冬の川に入ったりするような肉体的な授業もあった。そして、月日を追うごとに肉体的な授業は増えていき、その全てが修行と呼ばれるようになった。さらに修行をこなしていくごとに少しずつ“位”があがるシステムが出来上がり、より宗教色が強くなっていった。

――まるでカルト教団みたいだ――

十二歳にして泰夫はそう感じていた。ちなみに“カルト”という言葉は辞書で得たしわの一本だ。そう、泰夫は幼少期からこのような環境で厳しい修行を強いられていたのにも関わらず全く洗脳、及びマインドコントロールされていなかったのだ。たとえば復活の光から逃げ出そうとしたものを粛清として、皆で折檻する場面においても“くだらない。どちらも頭が悪すぎる”と心から思っていた。もちろん“自分も同じようにしなければならない”という指針のもとで、その折檻に加わりながら。

自分でも、洗脳されていない理由がわからなかtt。宗教色が強くなる前から在籍していたことが要因だ、と言うには、周りの子供たちが完全にこのカルトの“信者”と化していたため無理があった。おそらく理由は何冊もの辞書を丸暗記するほど読んだことと、魔法の言葉の“せい”で全てをどこか俯瞰で見ていたからだろうと、自己分析し、少し悲しく思っていた。悲しい理由は、皆と同じでないからだ。
中学校を卒業すると、泰夫は集落から一切出ることなく過ごすことになった。その生活の中で主に行うことは自給自足と、泰夫より年若いものたちへの教育だった。

そして、泰夫が十七歳になったその日、復活の光は正式に新興宗教になった。

その頃には泰夫は“位”が集落で五本の指に入るほど高くなっていた。それは畳の部屋で板の間に座れるほど高い位であり、泰夫はいつも、自分を必死に拝む母親を見ながら「俺も早くコイツみたいに狂ってしまいたい」と羨ましく思っていた。

ある日、気付くと視界から色が消え去っていた。

右を見ても、左を見てもモノクロの世界しか広がっていなかったのだ。しかし、泰夫に落胆はなかった。

“よかった。もうすぐ狂える”

狂ってしまうのを心待ちにしながら十七歳を終えた。

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