メメ&モリ ☆立ち読み☆

メメ&モリ・裕次郎

切れかかった蛍光灯がチカチカと何の変哲もない階段を絵柄の変わらないパラパラ漫画のように無機質で無意味な世界に変えていた。

違う。蛍光灯のせいではない。

思えばあの日から私の世界に意味などなかった。

十四階建てのマンションを一歩一歩踏みしめるように登った。

今は十一階。

一段登るごとに未練の有無や、他の手段を考える余地があるがどうかを自分自身に問いかけるが、答えは変わらなかった。

ここまで段の数だけ自問自答を繰り返してきたので、今では繰り返し同じ質問に同じ答えを返しているだけとなっていた。結局、この階段を上りきっても答えは変わらないだろう。
痛みだけがあった。

この数ヶ月、裸で茨の森を走りぬけたかのように、日々痛めつけられ、瘡蓋が追いつかないほどの数の深い傷を心に負った。

正直なところ“楽になりたい”という思いが全くないわけではない。悔しいけれど、むしろ大部分をそういった感情が占めているだろう。それでも、この行動には“愛情という明確な意思があるのだ”と声を大にして言いたい。できるだけ多くの人に聞いてほしい。頭と心の両方で決断しているのにも拘らず未練たらしい問い掛けを続けているのは、私の意思によるものではなく、ただ単に生物としての本能がそうさせているに過ぎないのだ。
そして、たった今、十二階を越えたことで本能すら乗り越えた。ここで廊下に進まない自分の行動が彼の不在を強烈に印象付けたのだ。

問い掛けをやめた私は速度を緩めることなく屋上へと足を進める。

私の人生の意味を取り戻すには、もうこれしかないのだ。

「……別にまた会えるだなんて思っていないわ。でもね、こうするしか他に方法はないの」

体の内側へ向けて囁くつもりが気付くと吐息と共に漏れ出していた。

「私は……意味のある死を選ぶわ」

居住フロアを過ぎ、屋上へ出る扉へ続く最後の階段まで辿り着いた。最後のときを迎えるが故、本心が染み出しているのか、それとも未だに自分自身を奮い立たせているのか、自分でも判断し難かった。だけど、もうそんな判断をする必要もない。屋上へと繋がる扉は簡単に開かれてしまったのだから。
そこには彼がいなくなる前となんら変わらない光景が広がっていた。象の形をした青色の滑り台。二匹のキリンが並んだ黄色のブランコ。茶色のティラノサウルスのオブジェ。寂れたデパートの屋上のレベルをさらに落としたような公園。

ミチオはこの屋上の公園が気に入ってこのマンションに即決したのだ。

――ねえ、メメ。メメが卒業したらさ、ここで一緒に暮らそう!

耳の奥から二年前に聞いたミチオの声が聞こえてきた。

どうして記憶というものは自分の所有物なのに、こうも勝手に蘇ってしまうのだろうか? 思い出したいときに思い出したいだけ思い出せるシステムでないのが無性に悔しかった。しかも、思い出してしまった記憶は次の記憶を呼び起こし続け、決まって私を押しつぶすのだ。

――腹減ったからなんか作ってくれよ、ってメメは料理下手だったよなぁ。

――やっぱりメメがいないと俺は駄目だ。ずっと側にいてね。

――ねえメメ? 仕事がさ、少し落ち着いたら結婚しよう!

ほらみろ。もう制御不能だ。

ミチオとの五年間の映像と音と匂いが鉄砲水のように轟音を伴って押し寄せてくる。どうせまた私は流され、思い出の奥底に沈んでいくのだ。

ミチオとはアルバイト先の先輩と後輩として出会った。年の差は五歳。当時はミチオのことがすごく大人に見えていた。一緒にバイトを始めた凛子と“誰それが素敵”なんて話をしているときだったと思う。

「そういえばミチオさんって、メメがシフトに入っていると必ずいるよね?」

なんて言い出したのだ。それがきっかけで意識し始めたような気がする。

そして、バイトを始めて三ヶ月が過ぎた頃、唐突に映画に誘われた。

「あのさ、映画のチケットが二枚あるんだけど一緒に行かない? ただし、これは映画が目的ではなくて、デートが目的だってことをはっきり言っておく。ちなみにこの映画はまったく俺の趣味じゃないから別に見なくてもいい。なんだったら映画じゃなくて遊園地とか、ショッピングでもいいんだ」
あまりの誘い文句に呆気にとられている私を尻目にミチオはさらに続けた。

「それと、君のことがすごく気になっているのも付け加えておくね」

私は恥ずかしかったのと同時に可笑しくて顔を真っ赤にしながら笑ってしまった。

「もう一つ“ちなみ”があるんだけど、実はその帰りにキスを狙っているから」

「それは駄目です」笑い声を押し殺してなんとか声を出すことができた。

「でも雰囲気が盛り上がったらいいでしょ?」

彼はいつでも飄々としていて動じない人だった。

「そんなこと初めに言われて雰囲気が盛り上がるわけないでしょ!」

大きな声で返したが、結局、そんなデートの誘いに乗ってしまった。実は少し気になっていた映画だった……ううん、ミチオには今でも内緒にしているけれど、私もとっくにミチオのことが気になっていたのだ。

デート当日、映画を見ながらワンワン泣いていたのはミチオだけだった。それは私が泣いていなかったという意味の“だけ”ではなく、映画館の中でミチオしか泣いていなかったという本当の意味での“だけ”だ。

映画が終わるとラーメン屋に入った。

ミチオはもうちょっとお洒落なところがいい、と言っていたが、店の前で嗅いだとんこつラーメンの匂いを私が振り切ることができなかったのだ。

席に座るとミチオはメニューを指差しながらこんなことを言い出した。

「ここに激辛十倍ラーメンってのがあるんだけど、今まで完食した人がいないんだって。てことでさ、これを完食したらキスしていい? いや、本当はもうちょっとお洒落な場所で食事して、帰りに――なんて考えていたんだけど、映画で泣いちゃって、しかもラーメン屋だしさ……ちょっとね、ってことで、いいかな?」
もちろん了承しなかったけれど、ミチオはなぜかその気になって激辛ラーメンに挑戦し始めた。しかし、五分ほど過ぎたころ、箸を丼のふちに置き、

「やっぱさ、こんなことでキスを賭けるのはよくないよね。ごめんね」

真顔で謝罪してきた。

私はその変化に驚いた。無理やり食べて――約束だから――なんて、帰りにキスを迫ってくるものだと思っていたのだ。私もどこかで“キスくらいはいいかな”と軽く覚悟はしていたので、その純な言葉に逆にドキリとさせられてしまった……が、次の言葉を聞いてすぐにそれを後悔した。

「……だってさ、辛くてこれ食べられないんだもん」

ラーメン屋を出るとミチオはコンビニでアズキバーを買い、冷たさと甘さで真っ赤な舌を癒しながら駅へと歩いた。

私もしばらくはその隣を我慢して歩いていたが、途中で何もかもが可笑しくなってしまい吹き出してしまった。一度噴出してしまったらもう笑いが止まらなくなった。そして、仕舞いには歩くこともままならず駅前ロータリーのベンチに腰掛けて笑いが治まるのを待つはめになってしまった。

ミチオも隣に座り「大丈夫?」なんて声をかけてくれたが、アズキバーをペロペロしながら言うので逆効果。治まりかけたものもぶり返してしまう。しかも、そんなことを繰り返しているとミチオが急に、

「結婚を前提に付き合おう!」

なんて言ってくるものだから、お腹がよじれ切れるかと思って、

「わかったから、もう笑わせないで」

と、すんなり了承してしまった。

了承するやいなや、ミチオは笑っている私にキスをした。

そして、唇を離すとすぐに「いてて」とアズキバーを舐めた。

一瞬、何が起きたかわからなかった。唇にアズキバーの味がほんのり残っていたことで、キスをしたんだ、と実感することができた。

きょとんとしている私にミチオがもう一度キスをした。

目を合わせた私たちは二人で大笑いをした。

可笑しくて、楽しくて、とても幸せだった。

しかし、そんなアズキバーを見るたびに思い出す、情けなくも愛らしい思い出も今では涙の源泉でしかなくなっている。

記憶と共に溢れる涙を拭うこともせず西日で照らされたオレンジ色の屋上を横切った。
よく歌謡曲なんかで“涙も枯れ果てた”なんて言うけれど、それは嘘だ。毎日毎日、朝も晩も泣いているのに枯れるどころか、まるで摂取した水分が全て涙に変わるかのように涙は枯れることはなかった。

相も変わらず溢れ出してくる涙と記憶。その記憶は一番思い出したくないことも鮮明に思い出させる。やはり私に決定権はない。

その日は昨年で一番の猛暑日だった。

大学の講義を終えた私はスーパーで食材を買い、彼の部屋で、以前、二人で行ったベトナム料理屋で食べた蒸し鶏の味を再現するべくキッチンで格闘しながら彼の帰りを待っていた。料理に熱中しすぎたせいか、気付くと二十一時を過ぎていた。携帯電話を確認したがメールは入っていなかった。二十時には帰ってくるって言っていたのになぁ、と多少不安になったが、まさかあんなことになっているだなんて思いもしなかった。
料理がひと段落したこともあり、一息入れようとリビングに向ったとき、テーブルの上に置いた携帯電話が鳴った。やっと連絡がきた、なんて思いながら手に取るがディスプレイに表示されていた名前はミチオではなく、凛子だった。

『メメ? テレビ見ている?』

凛子の声は携帯電話のボリューム機能の設定を間違えてしまったのかというくらい大きかった。普段冷静な凛子がここまで狼狽しているのはただ事ではない、と心細くなりつつテレビをつけた。

映し出された画面はニュース番組だった。

『テレビつけた? そう、ニュースでいいの! あの……違うといいんだけど』

凛子の声はボリュームのツマミを絞るように小さくなっていった。眺めているニュース番組の映像に既視感を覚えた。私やミチオが通学、通勤に使っている駅だ。

どうやら事件があったらしい。それも殺人事件のようだ。しかし、途中から見始めたこともあり内容が頭に入ってくる前にそのニュースは次のニュースへと移ってしまった。

『ねぇ。メメ、どう?』

電話口で凛子が漠然な問いかけをしてきた。

「どうって、えっと私たちの駅だったね。何かあったの?」

『……まったくあんたは……パソコンあるわよね?』

デスクトップパソコンの前に行き、起動させインターネットに接続した。トップページのニュースには私たちの街の名前はなかったので、大きなニュースではないようだ。

“○○市”“殺人事件”“○月○日”と打ち込み、検索をかける。いくつかサイトが出てきたので、映像ニュースがついているページを開き、再生した。

――今朝、東京都○○市にて殺人事件発生。被害者は同市に住む矢内美智雄さん。目撃者の証言によると電車内で二人が言い合いをしていたが、しばらくするともみ合いになり電車を降りたとのこと。また、多くの目撃者が先に手を出したのは矢内さんだったと――

床からゴツンと物音がしたので、見ると手に持っていたはずの携帯電話が落ちていた。空っぽの手のひらを見て、ようやく携帯電話を落としたことに気付いた。

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